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「絶対無理だと言われても、自分で考えて挑戦する道を選びたかった」― 木村 悠:商社マンボクサーが辿りついた世界王者への道 ―【2/4】

プロボクサーとして、初めての敗北で大きな挫折を味わった木村さん。

そこから「強くなるためには精神面も鍛えなければならない」と感じたことが、商社マンボクサー誕生の第一歩でした。

とはいえ、プロボクサーと会社員のダブルワークは言葉で言う程簡単なものではありません。木村さんは、どのようにして両立させていったのでしょうか。ご覧ください。

【前回の記事はこちら】
木村 悠:商社マンボクサーが辿りついた世界王者への道 ―【1/4】

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徹底した時間管理でボクシングと商社の仕事を両立

ーーある種博打だったということですね。当時のスケジュールもハードですよね?

朝6:30に起きて、ロードワークをして8:30には会社に着いていましたね。で、そこから仕事が始まって、17時まで仕事。その後にジムに行って練習して、夜中に帰宅。そういう生活が6〜7年間くらいは続いていました。

ーーそれは想像を絶しますね。例えば、仕事が長引いてしまって練習に遅れるなど、ボクシングジムの人から白い目で見られたりということは無かったですか?

無かったですね。みんなプロとして活躍するために必死に練習来ていたっていうこともありますし、あとは自分自身も仕事で残業して練習に遅れるということが無いように注意していました。しっかりとボクシングをしている姿勢が周囲に伝わっていたことで、反感を買わなくて済んだのかもしれませんね。

実際、当日は残業しないようにどうやったら仕事が回るかを常に考えていました。いかに残業が発生しないかをテーマに働いていた時期ですね。


テクノロジーを活用した仕事術

ーーなるほど。残業が発生しないために工夫していた点ってありますか?

スケジュール管理は徹底していました。スマートフォンやクラウドサービスを活用しながら、カレンダーやEvernote、Dropboxなどで書類を管理していました。

期限をしっかり設定したり、必要書類をデータ化したりして、営業として外出している間も仕事ができる環境をつくっていました。書類を見るために会社に戻る必要が無いように気をつけていましたね。

会社にいなくても仕事ができるような仕組みづくりを徹底したことで、むやみやたらに時間をかけて働く必要が無くなったことは大きかったです。資料作成などは外でも出来ますからね。

ーーそれはすごく効率的ですね。周囲の方も同様な取り組みをしていたんですか?

僕の所属する会社は目上の方ばかりで周囲はまだガラケーを使ってたりという環境です。(笑)でも、周囲の環境がそうであっても自分が必要だと思ったら取り入れるようにはしていましたね。

そこまで本気でボクシングに打ち込んでいたことが根底にあるような気がします。


結果が出て「守りに入ってしまった」過去の自分

ーー自分の熱中しているもののために最善の努力をしていたんですね。ここで木村さんの過去に遡って話を伺いたいのですが、子供の頃からボクシングが好きだったんですか?

いえ、全然そんなことないですね。中学生まではずっとサッカーをやっていて、ぼんやりとプロサッカー選手になりたいなと思っていたのですが、自分の体格などプロに行くには難しいということを肌で感じていたんですよね。

そんな時、たまたまボクシングのTV番組で同世代のハングリーな夢に向かう若者を見て。それまでは全く興味は無かったですが、それを観たことことがキッカケです。でも、元々「ろくでなしBLUES」とか「クローズ」とかを見て「強さ」には憧れていましたね。(笑)

ーー確かに若い男の子は憧れますよね。そこからは順調な道だったんですか?

いや、紆余曲折でしたね。高校2年生でインターハイ3位、国体準優勝まで結果を出せたんですが、そこから勝てなくなってしまったんですよね。残すは優勝という所だったんですが、一回戦負けしてしまったり。

今考えると、守りに入ってしまった自分がいましたね。周囲からもアイツはチャンピオンになるだろうって言われていて、そうすると不思議と心境が変わって守る立場になってしまった自分がいたんですよね。

ーー「守りに入る」というのは具体的にどういう心境なのでしょうか?

実際、僕自身の経験で言えば「燃え尽きる」に近いかもしれないですね。みんな目標を立てるっていうことは出来ますよね。優勝とかオリンピックで金メダルを取るという目標は立てられるんですけど、それが達成できた時の先をイメージしておかないと燃え尽きてしまうんですよね。

スポーツに限らず、例えば勉強でも大学受験で東大を目指していた人が、合格後に何を目指したいかを考えておかない場合、そこから思った程伸びないというケースと同様だと思います。


生まれながら人生が決まってしまう人もいる。日本に住む自分はどうだろう?

ーーなるほど。その後大学では1年生から日本優勝を果たしました。

運も手伝って一番大きな大会で優勝できたんです。そこである種の満足をしてしまったんですよね。どんな良いフィナーレを迎えても、その先の人生って続くじゃないですか。そこでやっぱり、そこからアマチュアを続けるのか、プロを目指すのか、という話を考えなければならなくなりました。

自分はそこからオリンピックを目指したんですが、そこまでの強い想いがなく、日本一になった後に無理につくりだした目標だったんですよね。実際、1年生で優勝してから、その後卒業まで一度も優勝できなかったんですよ。

大学時代は夢破れて、周囲は就職活動をして自分だけ取り残された感がありました。結果も残せなくてプロにいくかどうか迷いもありました。その結果、半年間くらいプロになるか就職するかを決めきれずにダラダラとした日々を過ごしていました。(笑)

ーー順風満帆ではなかったんですね。その中で最後にプロに行くということを後押ししてくれたのは何ですか?

沢木耕太郎さんの「深夜特急」という本があって、バックパッカーになって世界中を一人旅するっていう内容だったんですが、自分も感化されて旅行に行きました。得意の自分探しの旅です。(笑)

でも良い経験で、色々なものを見て考えを整理することができました。例えば、当時の途上国は貧しい人で溢れて生まれながらにして将来が決まってしまう。けれども、自分は好きなことができる環境があるのにもったいないという気持ちで吹っ切れたんです。

「ボクシングは大好きなものの、プロに行く程の覚悟が無い」自分の中にあった不安が払拭できたんですよね。

ーーそこからプロになって、また新しい挫折を経験して、商社マンボクサーが誕生した訳ですね。木村さん自身は、前例の無いことへの不安はありましたか?

不安はありましたが、自分としてはまずはやってみようと。周囲からはもちろん「そんなこと、両立できるの?」って言われることは多かったですが、そういう風に言ってくる人を見返したいとは思っていました。不安はあるものの、やってみると慣れてきて生活にリズムが出てきたんですよね。

【次回の記事はこちら】
木村 悠:商社マンボクサーが辿りついた世界王者への道 ―【3/4】


Trigger運営事務局


メディア編集長である藤原ユウマを中心に、Trigger運営メンバーで記事を書いています。


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